安い商品調べてみました

私が気になる商品を調べて提案するブログです。

赤は女性だと誰が決めたのでしょう

時として女性は赤、男性は青と言うような色に関しての認識が私たちにはあったりします。私も小さい頃は少しは赤い服もきたい時がありました。

 

でも、ある時から少し地味目の茶色とかを着ていた時もありました。それは母が可愛らしいのを買ってくることえの反発のようなものでした。その時は太ってましたし、膨張色(その時は知りませんでしたよ。)というもので自分には合わないと言うのもありましたから。

 

黒を着ていた時はカラス族と言ういわいるそういったファッションですね。所謂ニューウェーブ系ファッションです。シックにも見えますし、1おしゃれのアイテムだったりしますものね。

 

しかし、ある時本田宗一郎さんの生い立ちを読んでいると、いくつの時の話かわ忘れましたが、お母さんが洋服を買えないので自分の襦袢(じゅばん:着物を着る時の肌着のようなもの)で昔は赤が多かったのですが、その襦袢をほどき赤い服を作って着せたら凄く喜んでいたと言う話がありました。

 

そこに少しなるほどと思えるものがありました。色は関係なく新しい自分の服だと言う事が嬉しかったんだなというのが分かります。

そして、その本の中には女性観の違いも書いてありまして、あの松下幸之助さんと本田宗一郎氏との比較がありました。

 

何故かこの襦袢の色が女性を思わせたのではないかと思うのです。

 

しかし、現在は違いますね。

 

下着でも女性だからと言って赤い下着は、どちらかと言えば巣鴨の有名なお店で売っているような感じです。

 

そして白い服を着る時が多い人は、下着を目立たせるなら(意図がない限りそれはあり得ないと思いますが)赤とか黒とかですがあまり目立出せたくないなら、ベージュとか淡いピンクを勧められます。

 

男性の下着も今は色々ありますからね。

 

トランクスがインキンやタムシの防止だと知ったのは、30代くらいでした。

女性でもボクサータイプのパンツがありますからね。

 

時代はどんどん変わっていくんですね。

 

男性・女性の色でのイメージはなくなりつつあると思うのです。

 

似合う色も個々に違いますし。

 

ただ、イメージ作りに色を利用するのもいいと思うのです。

 

そして、慣れた頃にまた色を変えると言う事をすることも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

面白い広告を見つけました

40代・50代の転職のまとめと言う広告です。

40代・50代の人の転職といいますが、こちらでは70代と思われる人のコンビニのアルバイトのおばあさんがいます。

実はお孫さんが大型犬を連れてそのコンビニで買い物していたんですが、その大型犬はリード線で外に繋いでおいたんです。

そうしたら、その大型犬はなんとそこで大きな糞をしてしまいました。

それをおばあさんが、お店のゴミを収集していた事に気付き片付けていたんです。

初めはその関係を知らなかったので、そのお孫さんに

『ちゃんとお店の叔母さんにお礼を言ったほうがいいよ。どうもありがとう。って』

余計な事をいってしまいました。

ですが、お孫さんは

『うちのおばあちゃんだからいいんだよ。』

と言っていたんですね。

『あぁそうなの?でも言ったほうがいいよ。』

と余計な事を言ってしまいました。

やはり飼い主の自覚を小学生に教えるのはなかなかなぁ~と思ってはいますが、でも教えるのって必要ですよね。

 

と、そういうのもありまして、実は母よりは若いのですが、同級生のお母さんが働いていると言うのを聞いて凄いと思いました。

 

あまり知られてませんが、ソニーの創業者の一人井深大氏は子供の教育の事を書いています。それも結構面白いです。

 

 

 

 

 

 

 

勤勉な転校生のKさん

小学校2年生の時だと思うのですが、転校してきたKさんでした。

眼鏡をかけて、凄い勤勉で真面目でした。

私はこの年になるまで、その職業が解りませんでした。

 

小中学校の転校って、例えば父親の選んだ職業によって余儀なくされる場合がありますね。芸能人で言うと神田うのさんの父親のような職業。

 

でも、こちらの方にくる転校生の人はどちらかと言えばそうではなく、どちらかの親を亡くして親類縁者なのかを頼ってくる人が多かったのかも・・・と最近特に思います。

 

その勤勉なKさんの将来の職業が『ソーシャルワーカー』だったのです。

随分ハイカラな名前だな?とその当時思っていました。

多分かなり色々相談に乗って貰ったのでしょう?

その時の転校とかそういった事も含めて色々と。

 

今はどうしているのかはわかりませんが、グループと言うのではありませんが、住んでる地域での仲良しになるケースで固まっていたのは確かでした。

どこを境にというのもおかしいですが、帰る方向が違えばやはりお付き合いはそちらになりますね。Kさんはどちらかと言えば今住んでいる方向なのは確かです。

でも、女性なのでやはり嫁いでいるはずです。

 

 

専門書ってやはりお高いですね。

 

 

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いち八百屋から始めればいいんじゃないの?

バブル崩壊後に飛ぶ鳥を落とす勢いで出てきたヤオハンがありました。

静岡を拠点としてスーパーヤオハンから全国展開をし、そしてアジアの各国に進出を果たしましたが、急激な進出に資金繰りが追い付かなかったのかは覚えていませんが、会社1997年に会社更生法により倒産となりました。

その創業者の息子で当時の社長であった和田さんが進出したきっかけの言葉が、奥さんの『ダメになったら又いち八百屋から始めればいいんじゃないの?』と言う言葉でした。実際は手広くしていったのは、社長交代をするかしないかあたりで弟さんに譲った時にはもうどうだったのかな?と思います。

 

全盛期の頃は静岡の町を社員が並び歌を歌いながら歩くと言う奇抜さがあり、ある人は宗教団体のようだと称していましたが、和田さん自身が本当にある宗教の熱心な信者であったようです。

 

会社の清算が終わった後にNHKが特集した会社倒産時の様子なりを話す番組がありその時に映っていたのが、このヤオハンの会長や山一證券の社長などで倒産の経験を生かしてのコンサルタントなどをしていると言う話でした。

 

会社倒産は社員にとっては、本当に露頭に迷うことではありますし、元山一證券の社員の方が外資系企業に転職してその元々いた会社が本当にある意味甘いのかぬるま湯だったのか、『厳しいですね。』と言うのを言っていたのを思い出します。

 

 

 

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賢人も老いるのは当たり前なんだな

あるキーワードで検索して行ったらここにも辿りつきました。

 

www.minnanokaigo.com

この記事を読んでそうなんだなと思う事がありました。

 

大事なのは、介護が必要になったとき、その状態を受け入れる気持ちが持てるかどうかということでしょ?だけどそれは、なってみないとわからない。
なぜなら、「その状態になる前の自分と、なってからの自分は違う」から。

 

と言っていました。

 

虫採りに行くのはたいてい田舎だから、地方に人が少なくなっていること、それから空き家が増えていることは肌で感じますよ。
だから、田舎は貴重なものではなくて、あらゆるところにすでに用意されているんです。日本人は遊牧民じゃなくて農耕民だから、移動するのに抵抗感があるのかもしれないけど、住むところを1つじゃなくて2つ、あるいは3つと増やせば世界が広がるのにね。
東京に直下型の地震が起こってマンションに住めなくなっても、疎開先として機能してくれるわけだから。

 

とも言っています。なんとなく別に軽井沢だけが別荘地ではないですよ。

地方に行けばいくらでも土地はありますから。

と言っているようにも聞こえます。

 

しかし、一般的に畑は畑でして宅地造成用に土地の土は変えなければいけません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

副業マンダラート

 

 

 

日本のシンドラーと言われた杉原千畝さん

ちょうど『シンドラーのリスト』が上映された後の事である番組で知りました。

その時『シンドラーのリスト』も勿論見に行きましたが、それだけではなく時代背景にドイツでネオナチの人が議員として選ばれるというのがあったからだとは思いますが、その中の言葉で『1人の人を救えない者が多くの人を救えるはずがない』というような言葉がありました。

 

その後にTV放送での『杉原千畝』氏で、映画にもなりました。語学が堪能で逆に日本語で話す事があまりなかったというのを読んだことがあります。

 

そして、戦時中の領事館での働きは、失職覚悟のようでした。

私には大きな日本の財産なんだと思っています。

きれい事では済まされない所もあるとは思います。

尽力という言葉はこの方の為にあるとも思います。

 

領事館勤務時の千畝さんの写真をサッと見るなら少し冷たそうというイメージですが、とても良心的な人であると思います。

 

 

 

 

関係ない私の備忘録

最も強い者が生き残るのではなく、
 最も賢い者が生き延びるのでもない。
 唯一生き残るのは、変化できる者である。

 

 

 

 

副業マンダラート

 

 

 

 

小山内美智子さんという女性

その小山内美智子さんという方を知ったのは、主人が倒れた後からでした。

その前にある施設での派遣があり、見るもの全てが珍しいという知的障害をもった施設での仕事があり、ジャイアンツの帽子にジャビット君を抱えている男性の人達などを見てそして、いったときがちょうど家族が迎えにきているのか、それとも会える日なのかという時に当たった日でした。

こういう施設でも、やはり先立つものが必要なんだろうな?

ということと、その時はちょうど成年後見人に当たる兄と弟が無理心中をしたとか、親がと言うのが続けて起きていた時でした。

 

そして、話を戻しますが、小山内さんがNHKの番組に出演し尚且つお子さんがいて、理学療法士作業療法士をして小山内さんの支えの一部の仕事をしていると言うのを見て、又(多分札幌市だと思いますが)公共トイレを車椅子でもできる今で言うなら多目的トイレに改装してくれるよう市に申しいれたりして、より自立を目指して自分で会社を作ったりしている女性です。

 

その時、ハッと思ったのが

こちらの本です。

どんな人でも発言や行動を起こさなければ、人は解ってくれない。と言う事でした。

 

 

これから、指針としていきたいと思います。